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広島高等裁判所松江支部 昭和52年(ネ)43号 判決

主文

一  一審原告岩田裕司及び同岩田佳子の各控訴、同岩田美和子の一審被告松江市に対する控訴並びに一審被告石倉俊男、同有限会社佐藤洋品店及び同佐藤廣の一審原告岩田美和子に対する各控訴に基づき、原判決を次のとおり変更する。

(一)  一審被告らは各自、一審原告岩田美和子に対し金六三一万二二五六円、同岩田裕司に対し金一七一〇万三一二〇円、同岩田佳子に対し金二二九二万九六二七円及び右各金員に対する昭和四七年四月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  一審原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

二  一審被告石倉俊男、同有限会社佐藤洋品店及び同佐藤廣の一審原告岩田裕司及び同岩田佳子に対する各控訴並びに一審原告岩田美和子の一審被告石倉俊男、同有限会社佐藤洋品店及び同佐藤廣に対する各控訴をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審を通じてこれを一〇分し、その三を一審原告らの、その余を一審被告らの各連帯負担とする。

四  この判決のうち金員の支払を命ずる部分は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  一審原告ら

「原判決を次のとおり変更する。一審被告らは各自、一審原告岩田美和子に対し金一二〇五万一四一六円、同岩田裕司に対し金一九五三万三四五二円、同岩田佳子に対し金三一五〇万七八八四円及び右各金員に対する昭和四七年四月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。一審被告石倉俊男、同有限会社佐藤洋品店及び同佐藤廣の控訴をいずれも棄却する。訴訟費用は第一、二審とも一審被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言

二  一審被告石倉、同有限会社佐藤洋品店、同佐藤廣

「原判決中一審被告石倉、同有限会社佐藤洋品店、同佐藤各敗訴の部分を取り消す。一審原告らの右一審被告らに対する請求をいずれも棄却する。一審原告らの控訴をいずれも棄却する。訴訟費用は第一、二審とも一審原告らの負担とする。」との判決

三  一審被告松江市

「一審原告らの控訴をいずれも棄却する。控訴費用は一審原告らの負担とする。」との判決

第二当事者双方の主張

次のとおり変更、付加するほか原判決事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する。

(一)  原判決四枚目裏七行目から八行目にかけての「時速七〇ないし八〇キロメートル」を「時速七三キロメートル」に改める。

(二)  同六枚目裏八行目から一二行目までを次のとおりに改める。

「(二) 本件事故により俊雄及び一審原告らが蒙つた損害は次のとおりである。

1  俊雄の逸失利益及びその相続 各一六五九万五六七四円

俊雄は大正一四年四月七日生れで、本件事故当時四七歳であり、少くとも七三歳まで生存しえたものと推認されるところ、五八歳で退職勧奨の対象者となり、昭和五九年三月末日退職の運びとなるが、その間別表の年間収入欄記載の教員給与を受け(ただし、昭和四七年は事故の翌日から一二月末日までの給与であり、また昭和五九年の収入額のうち一〇七万三五八八円が一月一日から三月三一日までの教員給与である。)、右退職後死亡するまでの年額二一一万三五〇〇円の退職年金を受給することができた。

また同人は、教員退職後も六三歳(昭和六三年)までは労働が可能であり、その間年額一七〇万六四〇〇円の収入を得ることができた。

収入から控除すべき俊雄の生活費は、同人が労働可能な六三歳までは年収の三割、その後は年収の五割であるので、右各逸失利益の本件事故時の現価を算出すると、別表摘要欄の〈1〉〈2〉〈3〉記載のとおりである。

さらに俊雄は、前記教員退職時に一九〇六万三二四九円の退職手当金を支給されるところ、この本件事故時の現価は一一五五万三四九一円となる。

一審原告らは右損害賠償請求権の三分の一(一六五九万五六七四円)宛相続した。

2  一審原告ら固有の損害

(1) 一審原告美和子の損害

(イ) 付添看護費 九六〇〇円

付添一日当り一二〇〇円の八日分

(ロ) 入院雑費 一万〇二〇〇円

入院一日当り三〇〇円の三四日分

(ハ) 葬儀費 二〇万円

俊雄の妻として同人の葬儀を行つた費用

(ニ) 慰謝料 四四〇万円

(ホ) 弁護士費用 一五七万円

(2) 一審原告裕司の損害

(イ) 付添看護費 九六〇〇円

付添一日当り一二〇〇円の八日分

(ロ) 入院雑費 一万〇二〇〇円

入院一日当り三〇〇円の三四日分

(ハ) 慰謝料 四四〇万円

(ニ) 弁護士費用 二五四万円

(3) 一審原告佳子の損害

(イ) 治療費、入院費等 五〇万円

(ロ) 逸失利益 八七〇万一二四七円

一審原告佳子は、昭和三四年一一月二六日生れで本件事故当時一二歳五月であつたところ、一八歳五月から六三歳五月に達するまでの四五年間就労可能で、その間少くとも八七万六七〇〇円の年収を得られたものである。しかるに前記後遺障害のため同一審原告は労働能力を五割喪失したので、逸失利益の本件事故時の現価は前記のとおりとなる。

(ハ) 慰謝料 五五〇万円

(ニ) 弁護士費用 三八九万円

3  損害の填補等

(1) 退職手当金 二七七万八八二八円

俊雄の死亡に伴い退職手当金二七七万八八二八円が支給され、その三分の一宛を一審原告らの各損害に対する填補として充当した。

(2) 遺族年金 八九七万七九七四円

一審原告美和子は、俊雄の死亡により、地方公務員共済組合法に基づく遺族年金として、昭和四七年に二四万六七五二円、昭和四八年に二五万四四〇〇円、昭和四九年に二九万三〇四〇円を支給され、昭和五〇年以降昭和八六年までの間に毎年四二万二八〇〇円を受給しうることとなつた。右の毎年の遺族年金の本件事故時の現価を計算すると、合計が前記金額となる。

(3) 一審被告らの弁済金 九五万円

一審被告石倉らから一審原告美和子に対し三〇万円、同裕司に対し一五万円、同佳子に対し五〇万円の弁済がなされた。

(4) 自賠責保険金 一五五七万四九〇〇円

自賠責保険から、俊雄分として九八五万円、一審原告美和子固有分として一二万九八四〇円、同裕司固有分として九万五〇六〇円、同佳子固有分として五五〇万円が支給されたので、一審原告らは俊雄分九八五万円のうち二三一万六一八八円を一審原告美和子の、三七六万六九〇六円宛を同裕司及び同佳子の各損害に充当した。」

(三)  同八枚目表一二行目の「四〇ないし五〇メートル」を「五〇ないし六〇メートル」に改める。

(四)  同一三枚目裏六行目の「およそ」を「控え目にみても」に改める。

(五)  同一六枚目裏九行目の冒頭から同一八枚目表七行目の「ある。」までを次のとおりに改める。

「本件事故現場付近の道路には速度制限の指定はなく、従つて最高速度は法定の時速六〇キロメートルであつた。ところで、本件事故現場のように、交差点の外観も具えておらず、右折車の数が甚だ少いのに対し直進車が極めて頻繁で、その大部分が法定の速度を時速一〇ないし二〇キロメートルを超える高速度で走行している場合には、右折しようとする車両の運転者は、直進者が法定の速度を時速一〇ないし二〇キロメートル超過して走行していることをも予測したうえで、右折の際の安全を確認する義務があるというべきである(最高裁昭五二・一二・七判例時報八七五号参照)。しかるに、石倉車の制動開始前の速度は時速七三キロメートルであるから、同車は法定の最高速度を時速一三キロメートル超過していたにすぎない。よつて、前記最高裁判所の趣旨によれば、石倉車の右速度違反を予測したうえで安全の確認をしなかつた飯塚には過失がある。」

(六)  原判決の別表ⅠないしⅤを本判決別表のとおりに改める。

(七)  次の主張を付加する。

1  一審被告ら

原判決に仮執行宣言が付いているためやむなく一審原告らに対し、一審被告会社が昭和五二年四月三〇日に五〇〇万円、同石倉が同月九日に一〇〇万円、同年五月六日に五〇〇万円をそれぞれ支払つた。

2  一審原告ら

右支払の事実を認める。

第三証拠関係〔略〕

理由

一  事故の発生

請求原因1の事実は各当事者間に争いがない。

二  事故現場の状況及び本件バスの右折状況

事故現場の状況及び本件バスの右折状況についての当裁判所の認定は、次のとおり変更するほか、原判決理由二及び三説示のとおりであるからここにこれを引用する。

(一)  原判決一九枚目表一行目の「証人飯塚定雄の証言」の次に「及び当審における鑑定人江守一郎の鑑定結果」を挿入する。

(二)  同じページ六行目の「設けられている」の次に「(ただし、後記転換場入口付近は、南側外側線の南に幅員二・五五メートルの路側帯が、次いで幅員一・一五メートルの溝があり、その南側に転換場の敷地が続いていた。)」を挿入する。

(三)  同二〇枚目表五行目から六行目にかけての「約二〇度ないし二五度」を「約二〇度」に改める。

(四)  同じページ六行目の「左前部」を「右前部」に訂正する。

(五)  同じページ九行目の「衝突により」から一二行目の「形になつている。」までを「衝突により両車はそれぞれその後部を右旋回させて、ほぼ衝突場所に停止した。」に改める。

(六)  同葉裏七行目から八行目にかけての「事件事故現場」を「本件事故現場」に訂正する。

(七)  同二一枚目裏三行目の「沿つていた。」を「これに沿つていた。」に改める。

(八)  同じページ一〇行目から同二二枚目表一一行目までを次のとおりに改める。

「そして、前記甲第三号証及び原審証人飯塚の証言によれば、本件バスが一旦停止したのは転換場入口西端から一メートル位西方であると認められるところ、前記丙第四号証の一、二によると、飯塚をして本件事故時のとおりにバスを運行させて行つた実験結果では、右停止地点から発進して右折を開始し、バスの後尾が南側外側線を通過するまでに要する時間は、第一回目が八秒、第二回目が六・五秒であつた。」

三  石倉車の走行状況

前記甲第三号証及び鑑定結果によれば、一審被告石倉は時速七三キロメートル(誤差を考えると時速七〇ないし七五キロメートル)で石倉車を運転して本件事故現場付近に至り、衝突地点の約四六メートル手前、衝突時の二・五秒位前に、右折しつつある本件バスを認めて危険を感じ、左転把した直後にブレーキをかけ、更に衝突地点の約三〇メートル手前で右転把して本件バスとの衝突を回避したものの、前記のとおり被害車と衝突したことが認められる。

ところで、飯塚は「本件バスの運転席がほとんど転換場の構内に入つたところ、後方で大音がした。」(昭和四七年六月八日供述―前記丁第二号証)、「バスの後部が道路の端の方まで来た時後方でものすごい音がした。」(同年八月二三日供述―前記丁第三号証)、「バスの後部がほとんど道路からはずれた頃に石倉車が一〇メートル位まで接近してきており、バスが道路から転換場に入り切つた時衝突音がした。」(昭和四八年七月一八日供述―前記甲第四号証)旨時間の経過とともに自己に有利な供述をしている。一方、一審被告石倉は、「バスの左後部と石倉車の左側がすれすれに通り、その間隔は五センチメートルもなかつたと思う。」(成立に争いのない丙第五号証、原審及び当審における供述)旨供述し、石倉車の同乗者勝部は、「なに気なく前を見るとバスが道路に横になつており、『アアツ』と大声を出すと同時に石倉が右転把し、バスの後を通り抜けると同時に対向車に衝突した。」(昭和四七年六月一四日供述―成立に争いのない丁第四号証)、「前方を見るとバスが一五メートル位前に丁度自分達の進路をふさぐように横になつており、びつくりして声をあげると同時に石倉が右転把してブレーキをふんだ。ようやくバスを避け、対向車線に入つたとたんに対向車と衝突した。」(同年八月一七日供述―成立に争いのない丁第五号証)、「寝ていてふと起きたら一五メートルよりもう少し離れた場所にバスが横になつて道路をふさぐようになつていた。その時道路左側の外側線付近の位置にバスの運転手の顔が見えた。『アーツ』と声を出した時石倉が右転把した。バスにぶつかるとばかり思つていたが紙一重の差ですれちがつた。その時一〇メートル位前方に被害車を見た。」旨右一審被告の供述をほぼ裏づける供述をしている。

ところで成立に争いのない甲第五号証によれば、被害車の助手席の後に同乗していた一審原告美和子は本件事故に遭遇するまで何ら危険な状況を認識しなかつたものと認められるので、俊雄が危険を感じて叫び声をあげるなど、あわてた様子を示さなかつたものと認め得べく、結局、俊雄もまた衝突するまで危険状態を認識していなかつたと認められるけれども、前記飯塚の供述と一審被告石倉及び勝部の供述のいずれがより信用しうるかを明らかにしうるような証拠はない。

しかしながら、前記のとおり一審被告石倉が、本件衝突時の二・五秒位前に危険を認めた際一旦は左転把をしていることからすると、この段階において本件バスが石倉車からみて道路左側部分の殆んどを既に塞ぐような状態にあつたとは考えられず、石倉車が本件バスの右側を通り抜けうる間隔を残し本件バスの前部は石倉車から見た道路左側部分のおよそ半分前後のところにあつたと考えるのが相当であり、本件の道路状況、石倉車の速度及び前記バスが発進した後、その後尾が道路南側外側線を通過するまでの時間並びにこれによつて推認しうるバスの加速性能等を総合すれば、本件バスが右折を開始した時点において、石倉車はその一一〇メートルないし一四〇メートル東方にあつたと認めることができる。

本件記録中には、右認定に反する供述や供述記載が多々存するけれども、前記鑑定結果によれば、何が起こるかを予期していない時には、何が起こつたかを発見するまでに二秒位かかつてしまうというのであつて、右供述や供述記載は十分措信することはできないものというほかない。

四  一審被告らの責任

(一)  一審被告石倉の責任

前認定の事実と前記甲第三、第四号証、丙第四号証の一、二、第五号証、成立に争いのない同第六号証、原審証人飯塚の証言、原審及び当審における一審被告石倉本人尋問の結果並びに前記鑑定結果を総合すると、次の事実が認められる。

一審被告石倉は時速七三キロメートル位の高速度で本件道路を西進し、転換場入口より東方百数十メートルのあたりに差しかかつた。このとき本件バスは転換場に右折して進入するため、右折の合図をしてその入口より若干西方の北側車線内に一時停止していたのであるが、右一審被告は前方の注視を怠つていたので右バスの存在に気付かず、同速度のまま走行を続けた。右一審被告は、その後右バスの存在に気付いたが依然としてその右折合図には気付かず右バスが既に右折を始めていたにもかかわらず、自車の進行に何ら障害はないものと軽信し、助手席の勝部と言葉を交わしながら、右バスの動向を注視することなく同速度のまま進行し、衝突地点の約四六メートル手前まで接近して、バスが自車線内にかなりの程度進入しているのに気付き、前記三に認定したとおりの操作をして、辛うじてバスとの衝突を回避したが、その後方から東進して来た被害車と衝突した。

以上のとおりに認めることができ、この事実によると、一審被告石倉には、往来の頻繁な国道を高速度で疾走するにあたり、前方注視を怠り、しかも本件バスが既に右折のため始動していたにも拘らず、進路前方の交通状況に対応できる態勢を整えることなく見込み運転した点において、過失があることは明らかである。

(二)  一審被告会社及び一審被告佐藤の責任

当裁判所も一審被告会社には運行供用者責任が、一審被告佐藤には代理監督者責任があるものと判断するが、その理由は次のとおり変更するほか、原判決理由五の2及び3説示のとおりであるからここにこれを引用する。

1  原判決二七枚目裏二行目の「丁第四、第六、」を「丁第四号証、成立に争いのない同第六号証、」に改める。

2  同三一枚目表一二行目冒頭から一三行目の「総合すると、」までを「そして、前認定の一審被告会社の規模に、原審証人米沢の証言及び原審における一審被告石倉本人尋問の結果により認められるところの、一審被告会社の代表取締役であつた一審被告佐藤が常時本・支店を見廻つており、支店勤務の一審被告石倉が長時間にわたり出張販売のため店を空ける場合には、原則として一審被告佐藤に連絡をとり、本店から同一審被告あるいはその他の社員が店番のため支店に赴くことになつていた事実を総合すると、」に改める。

(三)  一審被告松江市の責任

前認定の本件バスの右折状況及び石倉車とのすれ違い状況、右すれ違い直後の石倉車と被害者との衝突事故の発生経過によれば、本件バスの右折と右事故との間に因果関係があることは明らかであり、また一審被告松江市が本件バスの運行供用者であることは当事者間に争いがない。

そこで、一審被告松江市の免責の抗弁について判断する。道路交通法二五条の二第一項は、車両は、他の車両等の正常な交通を妨害するおそれがあるときは、道路外の施設若しくは場所に出入するための右折をしてはならない旨規定しているところ、本件のような国道においては、車両が法定の最高速度を時速一〇ないし一五キロメートル超過して進行することは通常予想しえないことではないから、右折車両の運転者としては、直進対向車が法定の最高速度を時速一〇ないし一五キロメートル程度超過して走行している可能性のあることを予測にいれたうえで、右折の際の安全を確認すべき注意義務があるということができる。これを本件についてみるに、本件バスが右折のため発進した際の石倉車との距離は百数十メートルもあり、飯塚が同車の速度を的確に認識することが困難であつたことは、経験則上明らかであるが、本件バスの車長が長いため小回りがきかず、右折を開始してからその最後部が南側外側線を通過するまで六・五秒ないし八秒というかなりの時間を要し、石倉車が仮に法定の最高速度を遵守して走行したとしても、その間に一〇八ないし一三三メートルも進行し、右折のためのバスの前進距離をも考えると、バスが右折を完了するのは、石倉車がバスの後部を通過するのとほとんど同時位になる計算となる。(しかもバスが右折を開始した直後にはその移動距離は僅かなものであつて、石倉車がすぐさまこれに気付くといつたことを期待することはできない。)このような事情に照らすと、飯塚が石倉車を発見して安全に右折できるものと考えたのは早計であるとのそしりを免れず、飯塚は、右折を開始したとしても、石倉車の動向に注意を払い、同車が漫然と進行を続けた場合にはいつでも停止するなどの措置により危険を未然に回避すべき注意義務があつたのであり、右早計な判断に基づき右折を継続した飯塚が無過失であつたとは未だ言うことができない。そうすると、その余の主張について判断するまでもなく、一審被告松江市の抗弁は採用できない。

五  一審原告ら三名の傷害の部位程度

一審原告ら三名の傷害の部位程度についての当裁判所の判断は、原判決三三枚目表七行目の「本人の供述」の次に「及び弁論の全趣旨」を挿入するほか、原判決理由六の1の説示と同一であるから、ここにこれを引用する。

六  一審原告らの損害

(一)  俊雄の逸失利益と一審原告らの相続 各一六五九万五二八六円

俊雄が大正一四年四月七日生れで、本件事故当時四七歳であり、松江市立城北小学校の教員をしていたことは当事者間に争いがないところ、同人は本件事故に遭遇しなければ、少くとも一審原告ら主張のとおり七三歳まで生存することができたものと推認される。原審(第四回)及び当審における調査嘱託の結果によれば、一審原告ら主張のとおりの期間教員として勤務を続け、主張のとおりの教員給与、退職年金、退職手当金を受給しえたものと認められる。また教員退職後も六三歳までは労働可能であり、その間少くとも昭和四九年賃金センサス中の産業計・企業規模計・学歴計・六〇歳ないし六四歳の男子労働者の平均年収額である一七〇万六四〇〇円を下らない収入を得ることができたものと認めるのが相当である。そして、収入から控除すべき俊雄の年間生活費は、労働可能な六三歳までは年収の三割、それ以降は年収の五割と認めるのが相当である。

右のうち退職手当金の本件事故時の現価は一一五五万二三二八円(19,063,249×0.6060=11,552,328)であり、その余の収入の現価は、一審原告ら主張の別表摘要欄記載〈1〉〈2〉〈3〉の合計である三八二三万三五三一円を下らず、以上の合計は四九七八万五八五九円となる。

しかして、一審原告美和子が俊雄の妻、同裕司及び同佳子がその子であることは当事者間に争いがないから、一審原告らは俊雄の右損害賠償請求権の三分の一(一六五九万五二八六円)宛相続したものというべきである。

(二)  一審原告ら固有の損害

当裁判所の一審原告ら固有の損害に対する判断は、原判決三七枚目表五行目から同三九枚目裏一行目までの説示と同一(ただし、同三七枚目裏三行目の「更には」の次に「前記甲第三号証の五」を挿入し、同三九枚目表二行目の「一、〇三〇万円」を「一二五〇万円」に、同じページ一一行目の「原告ら主張」から一三行目の「五五〇万円」までを「一審原告美和子及び同裕司については各三五〇万円、同佳子についてはその主張する五五〇万円」に各改める。)であるから、ここにこれを引用する。

六  損害の填補等

損害の填補等に対する当裁判所の判断は、原判決四〇枚目表一一行目の「支給され、」から同葉裏六行目末尾までを「支給されたことは当事者間に争いがないところ、島根県職員の退職手当に関する条例九条二項によると、退職手当の受給権者は俊雄の配偶者たる一審原告美和子であるので、これをすべて同人の損害から控除する。」に改め、次の説示を付加するほか、原判決三九枚目裏二行目から同四一枚目表末行までの説示と同一であるからここにこれを引用する。

「なお、一審被告会社が昭和五二年四月三〇日に五〇〇万円、同石倉が同月九日に一〇〇万円、同年五月六日に五〇〇万円を各支払つたことは当事者間に争いがないところ、右各金員の支払は、一審被告らが自ら主張するとおり、原判決の仮執行宣言によるものと認められるので、損害に対する填補がなされたものとして控除すべきものではない。」

七  弁護士費用

成立に争いのない甲第一一号証の一、二及び原審における一審原告美和子本人尋問の結果並びに当裁判所に顕著な事実によれば、一審原告らは本訴追行を第一、二審とも弁護士に委任し、着手金及び成功報酬として認容額の一割五分を支払う旨約したことが認められるが、本件事案の内容、審理の経過、認容額等に照らすと、本件事故と相当因果関係にあるものとして一審被告らに請求しうる分としては、本件事故時の現価において、一審原告美和子の分として五〇万円、同裕司の分として一〇〇万円、同佳子の分として一四〇万円が相当である。

八  結論

以上のとおりであるので、一審原告らの本訴請求は、一審被告ら各自に対し、一審原告美和子が六三一万二二五六円、同裕司が一七一〇万三一二〇円、同佳子が二二九二万九六二七円及び右各金員に対する本件事故発生の日の後である昭和四七年四月三〇日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるので認容し、その余を失当として棄却すべきであるので、これと異なる原判決を右のとおり変更し、一審被告石倉、同有限会社佐藤洋品店、同佐藤の一審原告裕司及び同佳子に対する各控訴並びに一審原告美和子の右一審被告らに対する各控訴は理由がないのでいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、九二条、九三条、八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤原吉備彦 前川鉄郎 瀬戸正義)

別表 逸失利益現価表(現価算定基準日・昭和47年4月29日)

〈省略〉

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